スクーミーボードで広がる世界観

劇団で芽生えた今の才能

 高校時代は、他の高校も含め5、6校参加している劇団に所属していました。照明、音響、舞台装置などをつくり、時には脚本も担当しました。さらには営業や広報も行い、裏方としてさまざまな角度から劇団を支えていたので忙しかったです。私がいた劇団では舞台装置にとてもこだわっていて、団員からも実現することが大変な要望が出てくることも。それになんとか応えるべく装置をいろいろな方向に動かせるように工夫したり、映像と役者の動きを同期させるための仕組みをつくったこともありました。元々私はプログラミングが得意なわけではありませんでしたが、多くの要望に応えているうちに技術力が上がっていったように思います。

 当時舞台装置にはPICマイコンというものを使っていました。それにプログラミング言語でコーディングをし、装置を動かしました。プログラムは正確にしているのに、毎回PCから抜くと機能しなくなってしまうことがネックでした。舞台の本番にはかなり長い配線を引き、PCに装置を接続したまま動かすことになりとても苦労しました。高校の時にスクーミーがあれば、この問題も簡単にクリアできていたと思います。苦労した経験から、大人になった自分が高校生の私にプレゼントしたくてつくったのがスクーミーボードでした。

スクーミーボードのこだわり

 まだスクーミーボードが開発される前は教育用電子ボードというものを使っていました。その時期に大人向けの研修でプログラミングを教える機会があったのですが、今のスクーミーボードと違って、教育用電子ボードは電気回路を自分で配線しなければなりませんでした。結局丸1日の研修コースの中で、約3分の2の時間を電気回路の配線に費やすことに。私は配線の方法ではなく、プログラミングで装置をつくることができるということを実際教えたかったのですが。その経験から配線作業がいらない電子基盤が欲しいという話になり、今のスクーミーボードの形に近づいていきました。

 その後も塩島さんと話し合いながら開発を進めました。第5版ぐらいから全部USBになっていると思います。それもしっかり訳があるのです。開発当時、すでにセンサーコネクタを開発している会社があったため、その会社のものを使って一度つくってみることにしました。しかし子どもではコネクタを抜き差しするのが硬くて難しい、という事態が起こってしまいました。そのような問題から誰でも簡単に抜き差しができるUSBコネクタを採用しようということになり、1から設計し直しました。設計上、エンジニア的には絶対抜けないコネクタにした方が良いのですが、スクーミーとして「子どものために」というところを最もこだわって開発を進めていきました。

 今思うと高校時代は自分とはプラットフォームが違う人と、何かプロジェクトをこなすということがかなり大きな経験になり、技術力の向上や多様な価値観を受け入れることができるようになりました。教育カリキュラムをつくることを得意とする塩島さんとエンジニアとして電子開発を得意とする私が協力し、今のスクーミーの世界観というものがさらにはっきりしたのだと思います。高校生には、今のタイミングで学校という枠組みを超えて、さまざまな場に飛び出してほしいですね。

株式会社スクーミー 取締役
浜田 紗綾子 氏
東京理科大学電気電子情報工学科卒、電機メーカー2社に5年ずつ勤めた後、起業。
会社経営の傍ら、県内のプログラミング教育推進や女性起業家育成活動、IoT装置導入推進に携わる。

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